筑波山の水脈を守る会

本会は、筑波山の水脈を保全する活動を行っています

「つながり合う地域」/インターローカリズムの時代へ

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 この写真は、イタリアで最初に国立公園に指定されたという、グラン・パラディーゾをバス(自家用車は乗り入れが禁じられている)から写したもの。イタリア王のみが狩猟を赦される地区であった。息を呑む光景が広がっている。ピエモンテ側のこの道は途中で終わっており、アオスタ側に車で行くことはできない。この聖域を守るため。

 

 この活動を立ち上げて以来、今までの人生では決して出会うことの無かっただろう人々と出会い、志を同じくしている事実に驚きます。年齢、性差、生まれ育ったバックグラウンド、職業、何もかもがばらばらです。私は東京に育ち、子育てを機に山麓に移住しましたが、仕事場は東京です。水脈整備の世界は、普段身を置いている職業世界とは全くパラレルなもので、二つの世界が交差することはほぼ無いだろう…と感じます。東京では時は金なり。あらゆるものがマニュアル化され、自動化され、立ち止まることの赦されないスピードで、多くのものが動いています。地面は可能な限りシールドされ、植栽は切り詰められ、最近は空気すら「浄化」されて味がしない。本当は空気とは甘いものだというのに…。都市化の波は、隅の隅にまで、まだ行き届かない領域を許さないかのように、東京という空間を満たし続けている。それは開発が進むつくば市中心部にまで及んでいます。東京と山麓を行き来しながら、どちらが私にとっての現実なのだろうかと戸惑う事があります。

 

 …さて、今回の記事で取り上げるのは、「インターローカリティ Interlocality」という言葉です。この言葉を手掛かりに、里の外の皆さんとの交流について考えを巡らせてみたいと、ずっと思っていました。インターローカリティ?ローカリティやインターナショナリティという言葉は聞いたことがあるけど、聞きなれないな…?と思われることでしょう。それはごもっとも。中世から近世への移行期である14・15世紀のアルプス地域研究をご専門とされる歴史学者・佐藤公美先生によって、近年提示された新たな概念だからです。では、インターローカリティとはどのような意味なのでしょうか。

 

「(1)地域社会が相互に関係しあい、その絶え間ないコミュニケーションの中で、二つ以上の異なる社会を線で結ぶだけではなく、地域社会と地域社会を構成する諸個人を、絶え間なく変容させるということ。

(2)そのような変容が、「地域」と「地域」の相互的な関係の水準と並行して、時として公権力の定める司法・行政上の枠組みとは異なる、政治的・社会的・経済的・文化的なオルタナティヴな広がりとして、個々の「地域」を超えた広がりを産み出してゆく、ということである。」

(佐藤公美「序論 アルプスからのインターローカル・ヒストリー ―<地域>から<間地域>へ―」、佐藤公美編『アルプスからのインターローカル・ヒストリー ―<地域>から<間地域>へ―』、佐藤公美研究室、2016年、4頁)

 

 インターローカリティという言葉は、単なる「地域間の交流」以上の意味をはらんでいます。辺境の一地域が、全くローカルな目的のために、他の地域とローカルな関係(もしくは衝突)を、公とは関わりなく「勝手に」結ぶうちに、地域内部の個々人に「思わぬ」変容がもたらされる。共同体に生きる人々というのは、無数のネットワークでつながっていますから、その影響関係たるや、神出鬼没です。彼らが本気になると、とんでもない事が起こるのです。その変容は、関係のない他の地域・人々にまで波及し、公的な枠組みのあずかり知らぬところで大きなうねりとなっていき、時には中央すら揺るがすような結果をもたらすことがある。 …という、非常にダイナミックな概念であり、世界認識の新しい枠組みを示すものなのです。

 佐藤先生は、精緻な史料批判に基づき、いかにしてアルプスの山民達が、主体的な存在として自らの問題の解決のためにローカルな政治交渉を始め、彼らの問題に無関心であった君主達を動かすにいたったかという、インターローカルなプロセスを明らかにされています。(Cf. 佐藤公美「地域を超える「争い」と「平和」―中世後期アルプスとイタリア半島における「間地域性(インターローカリティ)」」、『洛北史学』第18号、2016年、1~25頁)そして、このインターローカリティこそ、近代国家形成以降、私達が長らく忘れていたものなのです。

 これからの時代が必要とするものは、問題山積のグローバリズムではあり得ず、地域が主体となっていくべきことに間違いありません。しかし、単なる地域中心主義、ローカリズムという語では、未来を託すにやや役不足と言えそうです。佐藤先生の提唱する、よりダイナミックなインターローカリティ概念に想を得た、「主義」としての「インターローカリズム」の時代が到来しているように思います。現実の「政治」は、公権のあずかり知らぬところでも進行しています。マスメディアに報道されることの無い、水面下の様々な動き―最たるものが水脈整備―をネットで垣間見るにつけ、そのような想いを強くしています。

 インターローカリズムに拠って立つ際、当然のことながら、「共同体」と、その集合体である「地域」を取り戻していく必要があります。これらがどのように失われたかは、以前ブログで言及しました。共同体とは、哲学者内山節氏によれば、人々が助け合いながら生きる互助的な場ということに留まらず、過去に生きた死者、時間、信仰、文化、経済、自然… いのちに関わるすべてが集積し埋め込まれた、一つの生命体のようなもの、といいます。失われかけた共同体の古層にあるものを掘り起こす。価値観の異なるご近所さんと共に生き、時に衝突を経ながらもその価値観へと働きかけ、働きかけられる。そういうものの中に、身を沈めていくことが必要になります。自分の生きる場が、そもそも共同体を作っていくことのできる土地なのか(自分にとってその価値があるのか)どうかを、歴史的広がりにおいて見極める必要も出てくるでしょう。

 貼り付くように共同体と結び合った志ある個々人が、SNSを用いてつながりあい、知見を交わし合い、影響し合うならば、どのような事態が起こるでしょうか。各々の活動は、地域に根を下ろした小さなものに留まりつつも、互いに共鳴し合い、力強さを増し、果ては集合意識としての大きなうねりを産み出していくのではないでしょうか。このうねりは、時に中央の意図と衝突するかもしれない。しかし、個々の活動として多様性を保ちながら無数の地域で独立しているため、中央の統制も効きづらい。かつて無名のアルプスの山民達がミラノ公すら動かしてしまったように、このようなアルタナティヴな広がりが、公の枠組みを動かしてしまうことも、大いにありうるのです。

 水無くして人は生きられません。水脈を守ること、大地の下に想いを馳せること。これは、あらゆる社会問題の中でも最も喫緊のトピックの一つです。むしろ…。ここまで言ってもいいのではないでしょうか。きれいな水の自給できないところに、共同体は成立しえないのです。

 守る会は、筑波山南麓に根を下ろした小さなグループでありながらも、遠い地にあって志を同じくする人々、共同体とつながり、励まし合いながら、積極的に自己を変容させていきたいと思っています。