筑波山の水脈を守る会

本会は、筑波山の水脈を保全する活動を行っています

六所宮山とはただならぬ処

六所自慢の、逆川沿い(本当は酒匂川だそう)の桃の花のつぼみがほころび始めました。WSの時期には満開になるかもしれません。

 

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筑波山向かいの蚕影山も、新緑が芽吹き始めました。ここは春になると、山桜で山全体がピンク色に染まるんですよ。WSの頃は、まだ早いかな。

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4月13日のワークショップの舞台について、書いていきたいと思います。

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殆ど深い谷筋の見られない筑波山南麓にあって、唯一起伏の多い東の奥の院、六所の里。謎深い歴史に包まれた地です。向かって右に見えるのは六所大仏。車でいらっしゃる方は目印にしてくださいね。石碑の裏に、往時の六所の古地図が刻印されています。

手前に見えるぽっこりとした山が、宮山です。その右隣に半分姿を現しているのが、お宝山。この二つのお山が、今は無き六所神宮の鎮守の森だったのですが、江戸時代に、筑波山中腹の中禅寺(現在の筑波山神社)との勢力争いに負け、伐採されてしまいました。現在は杉などが植林されていますが、かなり荒れています。この場所を、私たち里の人々は、皆さんのお力をお借りして復活させようとしています。

高田さんから学んだことに拠れば、大地は、地形の落差のある場所で大きく呼吸をしているものなのだそう。水脈とはホースのようなものですから、下が重要です。ホースの下がふさがってしまえば、水の流れは滞ってしまうからです。ならば、筑波山水脈の大動脈は、やはり御幸ヶ原(男体山女体山の間に位置する高地・直下に男女川の源流があり、紫峰杉が生えています)から東に大きく振れていると考えられ、その裾野にあたる宮山、お宝山というのは、まさに筑波山水脈で最も重要な要の地なのです。ちなみに、この谷筋を遡っていった筑波山の中腹には、大木に囲まれた白滝神社があります。水脈の要には社を建てて守ってきたのが、かつての日本人の在り方でした。

関東平野を広く潤す力を持っている筑波山、その力の源と言える場所が、この宮山、お宝山。そこに、上代からの天照大神信仰が脈々と伝わっているなんて、ただならぬものを感じませんか。朝廷が伊勢神宮に勅使を送る際には、六所にも送っていたそうで、茨城一とも言われるこの地のお米の中でも、六所のお米は皇室献上米であったのです。六所とは朝廷にとってどのような意味があったのか。それほどの宮がなぜ明治時代に廃社の憂き目にあったのか。この地の歴史を、史料を紐解きながら明らかにしていく必要があるのではないかと思います。

筑波山の水脈を守るのであれば、その第一歩はここをおいて他にありません。ここでなくてはなりません。それほどの地なのです。