筑波山の水脈を守る会

本会は、筑波山の水脈を保全する活動を行っています

宮山の西の谷筋

イベントも二週間をきり、じわりじわりと参加のお申し込みが増えております。ご都合の合う方、お待ちしております。

さて、今回はどの場所を整備するのでしょうか。

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前回もお見せしたこの写真、中央のぽっこりした宮山の、西(左)の谷筋が舞台となります。水脈というのは、上よりも下、地形が大きく変わる場所が要となります。昔から針葉樹の植林を行う際は、谷筋と尾根筋には植えてはならないとされてきたのも、水脈を守るためであったのだと思います。宮山の東には大きな沢が流れていて、容易に手入れが出来る場所ではありませんが、西の谷は枯れかけた小さな沢があるのみ。ここから手をつけてしまおうということです。

 

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宮山の西の谷筋には、六所唯一の湧水「ヒヤミズ」があります。明治に廃社になった六所神宮の御神水です。たいへん古い、中世の立派な石碑が残されています。かつて、筑波山の正式な登山口はここ六所にありました。ヒヤミズで身を清めたのち、天照大神を拝してから宮山を登り、白滝神社を参って女体山に登頂したのです。この古式の登山道は、おそらく筑波山水脈の大動脈と一致しています。筑波山にはアカガシの巨木が生えているラインがありますが、要の水脈と関連しているものと思われます。実際、女体山南東部には、見事なアカガシの森が残されています。

(高田さんのブログに、希少な筑波山の森についての記述があります)

www.zoukinoniwa.biz

山そのものが御神体であった筑波山修験道の場であり、俗人は、年に二回、女体山にのみ登頂することが赦されていました。現在は筑波山神社で行われている御座替祭ですが、本来は六所神宮の祭祀であったことも留意しておきたいところです。有名なつくば道とは、徳川幕府が、中腹の中禅寺を普請する際に新しく作った、近世以降の新しい道です。筑波山は江戸の鬼門にあたるため、幕府の崇敬を集めたのです。この中禅寺が、明治時代に筑波山神社となりました。

ヒヤミズに戻ります。自宅の敷地にひいて使っていらっしゃる方もいますが、汲みに来る人はまず見かけません。この谷筋には小さな沢が流れています。山が荒れ、落ち葉や泥で詰まっています。ほとんど水の流れはなく、ちょろちょろと「動いている」程度です。

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高田さんに学んだことですが、沢に泥がある状態は、健全ではないそうです。水脈が詰まった状態です。確かに、小さい頃に遊んだ沢は、泥などなく砂や小石ばかりで綺麗でありました。これでは子供を遊ばせる気もおきない…
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少し足を踏み入れると、針葉樹の森。間伐が遅れ、荒れています。倒木もあちらこちらに。

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緩い傾斜地を上がっていくと、、

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お稲荷さんが…!

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いつの時代のものでしょうか、奉納像が。

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祠の右には、湿地状態になっている場所が。おそらくここが水源地です。まったく水の流れが無い状態。。。しかし空気感が違います。

かつてこの場所には棚田がありました。それはそれは素晴らしいお米がとれたことでしょう。高田さんがおっしゃったとおり、昔の人は、水脈の要に祠を置いて守っていたのです。この要の地が、高田さんのご指導を受けて、どのように生まれ変わるのか。見守っていきます。