筑波山の水脈を守る会

本会は、筑波山の水脈を保全する活動を行っています

田井の里の田楽舞

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5月12日(日)、「自然生クラブ」による田楽舞が、細草川ほとりの「山の神」(筑波山の南麓から見て、田園地帯を挟んだ南側にある低山)にて奉納されました。

自然生クラブでは、知的ハンディーキャップの方々と「健常者」達が、共に暮らしながら有機農を営んでいます。彼らの感性は農ある暮らしの中で豊かに育まれ、ダンスや演劇、絵画などの多様な芸術活動として昇華されます。海外公演の経験も豊富、地球市民賞も受賞した、筑波山南麓の誇る芸術家集団です。

田楽舞は、弥生時代から行われていたという六所神宮お田植え祭の再現から始まりました。六所大仏前から、ポニー二頭を先頭にしたてて、太鼓をたたきながらのぼりを立てて歩いていきます。かつては神郡まで行っていたようですが、私たちは「山の神」が終着点でした。(カメラを忘れて写真を全く取れなかった!行列後、あわててカメラを取りに帰って、取材続行)「山の神」と聞くと不思議な気持ちになりますが、全国に残される地名とのこと。里と山の境界域、いわゆるサンクチュアリを指しているのだとか。この一帯は昔ながらの谷津田が残っており、無農薬のお米作りが行われています。

 午前中は、皆で田植えです。古代米の苗を、紙マルチに穴を開けながら植えていきます。弥生時代からのお田植え祭行列の後に、古代米を植える。自然生は、場の歴史的コンテクストを広く深く見渡し、作品を作り上げる。だから、後から後からパフォーマンスの意味が幾重にも広がっていく。

田んぼの雑草取りはやったことがあるのですが、田植えは初めての私。ちょっとだけという事もありますが、本当に楽しかったです!初対面の小学生の女の子とペアになって田植えをしました。ドイツからの交換留学生も遊びに来ていましたよ。

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程よく疲れたのち、お待ちかねのランチ。鶏肉のバーベキューだ!手作りのにんにくダレが美味しい!ちなみに、主宰者の柳瀬さんはたいへんなお料理上手で、お手製のカレーもパイも全てが絶品。全方位において天才的な方です。

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何種類もの副菜に、薪焚きのご飯。地元の養鶏家兼プロの画家の御手洗さん(この方も南麓の誇る芸術家)による、平飼い卵も。1000円の参加費で、ここまでいただいちゃっていいのでしょうか、というようなボリューム。今回は100人分用意したそうですが、皆さん涼しい顔。蚊の鳴くような弱小守る会とは機動力が全然違う…!ぐうの音も出ませんでした。 

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田楽舞が幕を開ける。山麓の風を受けながら、たたずむダンサー。

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素晴らしい感性。優雅で力強い身のこなし。着物を前後ろ逆に着付けているのは、柳瀬さんのとっさのアイディアだそうで、この世のものではない、精霊を表現しているとか。

あれ?なんだか舟の底に何かが見えますね。 

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子供たちが隠れていました!

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早苗さんのたおやかな舞い。普段はバレエ講師をされているとのことですが、自然生のメンバーたちと、即興の舞で感性をぶつけ合っていきます。サンクチュアリ「山の神」を舞台に、ダンサーたちの想いが融け合う。

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なぜかとんでもないポジションで見入る我が娘。誰も咎めることなし。この自由さが自然生。

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最後はダンサーと太鼓奏者が輪になって踊る。

山の神への祈りは届けられた。

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この日は風が強くて寒かったです。山の神からは、筑波山がよく見える。筑波山の右足元に見えるぽこっとしたのが、宮山です。筑波山の水脈が右に大きくぶれているの、なんとなく地形から分かりますか?

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参加者の子供たち、片付けが始まっても舟から降りようとしない。最後の最後まで粘って遊ぶ。何を話しているのかな?

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芸術とは、本来、民の素朴な暮らしから生み出され、そして暮らしと一体となってあったもの。19世紀に芸術が博物館制度や資本主義に飲み込まれる以前、私たちは誰もが芸術家でした。農の合間に歌を詠み合い、布を染め、織り、祭りの神楽を奏で、皆で踊った。芸術は、自ら表現することに意味があった。生きること=芸術だった。それなくしてはとても生きていられない、そのようなものだった。

今、芸術行為は制作者と受容者とに役割分担され、消費されるべきものへと変貌しています。芸術といえば、衣食住が満たされたのちに興じるべき贅沢品のようなものとして捉えられています。しかし人類の歴史を振り返るならば、アルタミラに見られるように、最も優れた動物画は厳しい環境に生きた狩猟採集民によって制作されたのであり、死を覚悟してエジプトを脱出したイスラエルの民は、懐に竪琴を忍ばせていたのです。人間が人間的であるために芸術が不可欠であるのは、歴史が明白に語っていることです。資本主義が行き詰まりを見せる中、21世紀の芸術はどのようなものであるべきなのか、もう一度問うべき時に来ている気がします。ここ山麓の百姓たちは、日々の合間を縫って晴れ舞台にむけて支度を進め、作品を構想し、表現する。その中心にはかつて神として敬われた山があった。

食べ物だけではない。芸術もまた自給自足に少しでも向かうことが、これからは大切だと個人的に考えています。